千葉サンクチュアリ教会(三代王権・こころのサンクチュアリ教会)

文亨進御家庭を地上の真の父母・三代王権、勝利した再臨主二代王とするイエス・キリストを信じる教会です。個人が勝利したイエス・キリストを体にまといて実体のキリストの体、キリストの花嫁となり、各家庭が幸せな家庭教会になることを目指す教会です。三代王権・こころのサンクチュアリ教会の千葉教会です。一緒に天のお父様を賛美しましょう。

主は道であり、真理であり、生命を詩編66章に見る。。

2018年.7月16日の説教より


今日の聖書リマは詩篇66章です。


1 全地よ、神にむかって喜び呼ばわれ。
2 そのみ名の栄光を歌え。栄えあるさんびをささげよ。
3 神に告げよ。「あなたのもろもろのみわざは恐るべきかな。大いなるみ力によって、あなたの敵はみ前に屈服し、
4 全地はあなたを拝み、あなたをほめうたい、み名をほめうたうであろう」と。〔セラ
7 神は大能をもって、とこしえに統べ治め、その目はもろもろの国民を監視される。そむく者はみずからを高くしてはならない。
17 わたしは声をあげて神に呼ばわり、わが舌をもって神をあがめた。


今日のリマは実に希望的なリマですね。
そうなのです。私たちの義は、義ではありませんが、神様の公義のみが正に義なのです。
私たちは神様が私たちを通じてどれほど多くの変化と恩恵を持ってきたかを、あまりにも簡単に忘れてしまいます。
そして私たちは自分の苦難と試練に、集中し易いです。
そのように問題だけに集中することで、我々は、神様との関係までも忘れてしまいます。
神様の偉大さと恩恵も忘れてしまうようになります。


多くのニューエイジの書籍では、我々自身の中で平和を見つけよと言っています。
しかし、我々の中では平和を見つけることができません。
私たちの中で救いを見つけられません。
しかし、主を眺めて主の自然を見ながら、私を創造された神様を改めて悟りつつ、私たちは平和を見い出すことができます。


神様に、私たちが向い合っている問題と試練を取り出して、'神様この問題は私の力で解決できません。
この問題を神様にお任せします。私は罪人ですが、私は主に、私が自力でこの世を生きていくことも、この問題を解決できないことも認め、全部下ろします。
主よ、私の意志ではないあなたのみ意がこの地に行われるようにしてください。
そのように私たちが神様の能力に、力に完全に委ねる時、神様は奇跡を降ろして下さるのです。


我々の自分自身を偶像化したい隠れた欲望を捨てて、私たちを内から蝕んでいる私たちの恐怖と怒りまでも全部、神様の前に下ろさなければならないというのです。
私たちの知識と力は、限界で壁でいっぱいです。
しかし、神様の能力は、絶対にそうではありません。


詩篇27章でそれで、主は私の羊飼いだから、私には全く不足するものがないと言われました。
私が私の欲望で、望むことはなにもないのです。
神様が願われるみ意が成されることを祈るのです。


世の中は私たちに、我々が望むことをしろと、それが正しいと言います。
そのように私たちは自分の運命を嘆き、自分の状況と現実がどれほど難しいかを、どれほど私たちが我々の夢と遠くにいるのかを、いつも偽りの世の中を見せようとします。
しかし、我々が神様の能力と力に頼れば、絶対私たちのそのような自己憐憫に、自分自身を閉じ込めません。


私たちが我々自身を偶像化することを止める時、私たちがこれ以上、無目的に漂流する邪悪な世の中を高めるものを下ろす時、私たちは神様が私たちの主人であることを取り戻し、平和と彼の恵みを得ます。
神様は完全で神聖で世の中のすべての能力があるし、世の中の全てを知っておられるし、私より私をもっとよく知っておられるし、数学と科学を利用して、この世の中を創造した方がまさに創造主神様です。


そしてそのように無限に大きな能力の神様が、一人子を送られ、私たちの罪を贖罪されて亡くなられたというのです。
それでヨハネ福音書15章で、この世で最も大きな愛は、他の人のために、自分の命を捧げることだと言ったのです。
主が私たちにそうされたのです。
そんなに大きな、私たちが想像すらできない大きな愛を下さったというのです。


私達は、自分自身を偶像化して、我々自身を信じろという世の中の教えで、私たちを結局は絶望に追い込んでいます。
しかし、我々が神様を求め、神様の能力に頼れば、私たちは自分自身を偶像化することができなくなります。
私たち自身がどれほど蟻位の小さな存在だということを悟り、神様がどれほど高いかを気付いた時、私たちは真実と向き合います。
この大きい大きい宇宙で、アリはどんなに小さな存在ですか。
いくらアリが、私はこんなに能力が優れていると言っても、我々がそれを見ると、どんなに可笑しいですか。


しかし、ピリポ書4章13節のように、"私は、私に能力くださる神様の中で、私はすべてのことができる"と言う通り、私たちが真にそれを信じて頼るなら、主が私にそのすべてができる能力をくださるというのです。


私たちは今日、能力の、全知全能の神様について話しています。
世間では我々の中で、私たちに内在されている力を探せという教えを受けました。
しかし、そのようなことはありません。私たちの中には汚い汚物と罪があるだけです。
私たちは主を通じて、神様が私たちが知ることを望まれているのを学ぶようになり、救いを受けることになるのです。
主の体を使われ、この地に来られた神様を、私たちが主を通してお会いすることになります。


人間というのは、実に嘆かわしいものです。
私たちは自己憐憫をしながら、それを楽しむこともできます。
これがおかしいと思うかもしれませんが、我々は我々自身の苦労と苦難を見ながら、‘見て、私がどんなに難しい状況にいるのか。ここに、血が流れるのが見える?"と言いながら、自己憐憫を人たちに見せるためにもっと多くの傷をつけたりもするというのです。
それもまた、自己偶像化の他の形だというのです。


しかし、我々が神様に頼る時、それは完全に違うのです。
私たちの力で?違います。
私たちは、主の力で全てを乗り越えて勝利できるというのです。
万の十字架の路程、七死復活、八段完成!!


人間の苦痛の歴史の中でも、役事され同役同行される神様を習い悟った時、私たちは神様に出会うというのです。
主が下さるみ言葉と教えを飲むと、私たちの霊的な喉の渇きが取れるというのです。
主だけが、主が下さる泉だけが、私たちの霊的な喉の渇きを無くすことができるというのです。
私たちが主のストーリー、主の歴史を知るようになった時、私たちは我々に救い下さったその主を知るようになった時、私たちははじめて、私たちが誰なのかを知るようになるというのです。


私たちが主の共同相続者であり、主の恩を着た者であることを知るようになるというのです。
主は私の羊飼いなので、私には不足するものがない。
私を青い草原に導いて下さることを信じているので、私たちは主に順従になりながら付いていくし、私たちが死の谷を歩くとしても、私に恐ろしさがないというのです。
私たちが、我々自分を信じながら死の谷を歩く時はどうでしたか?
どれほど怖かったですか?
どれほど寂しかったですか?
しかし、我々が死の谷を歩いても、主と一緒なら、全く恐れないようになるのです。
私たちが一人で歩いているように外からは見えるかもしれませんが、私たちは主と共に歩くことを学ぶというのです。


社会主義、共産主義左派たちはこう言うでしょう。
「私達が、私たちの一人の力で何かをやり遂げなければならない」と。
しかし、世の中には、一人でするということはありません。
まして私達が技術者になろうとしても、私たちが柔術の青いベルトになろうとしても、私たちには他の人の助けが必要というのです。


そして私たちが最も大変な世の中の、最も底に倒れている時にも、私たちと一緒におられる神様を信じる時、主は一緒にしてくださるというのです。
私たちが我々自分がいかに醜悪なのかを否認して、すべてを神様のせいにし、私たちの中に罪があるということも否定して生きて行ったら、その結末はあまりにも自明です。
私たちは孤独で暗い霊的な牢獄に閉じ込められるようになるのです。


私たちは多くの瞬間に、私達が成し遂げた業績と功労に捕われて酔って生きて行きます。
オリンピック重量挙げで世界記録を破った人でも、年を取るようになるし、後に認知症にかかるかもしれません。
私たちは、私たちの体が倒れる時、結局、主に頼るしかないというのです。


しかし、私達が我々の考えより、神のみ意と義をますます高めて、主の福音をもっと高め、彼のために生きていく時は、わたしたちは違う人になります。
私たちは違う創造物になります。
私たちはこれ以上、不安の霊にとらわれて生きる人でなく、愛と能力と健全な精神で生きるようになるというのです。
私たちの暮らしの領域が拡大されるし、私たちの霊的な悟りは、私達が想像できないくらいに広がります。


考えてみてください。
創造主神様と比べれば、アリのような小さな脳で、私たちがどれほどすごいか、私たちがどんなに大変かを測る私たちではなく、神様の創造の偉大さを徐々にわかって行くようになるというのです。
通りすぎるこの長い時間の中で、神様が私を創造されて、私を育てたその恩恵と愛に出会うようになるというのです。
そして、私の能力と私の力と我々の志を掲げる者でなく、神様の能力と力と神様の公義とみ意を掲げる人になるというのです。


(賛美を歌われています。すべての霊的な鎖を切り出せ。
(賛美です。)


私たちがバスケットボールを海水に強く沈めようとしたら、そのバスケットボールはどうなりますか?
再び跳ね返って上がってきますね。
しかし、私達がそれを神様に出した時、私たちは神様に頼るようになります。


神様は一人子を、我々の罪を贖罪する為に十字架に出してくださいました。
私たちが罪で死ぬしかない者なのに、そんな私のために、神様が主の命を出されたのです。
私たちがその血の代価の重さを知っているなら、私たちは別の人になります。


鉄の杖は、我々が得たのではありません。
鉄の杖の力は、神様が私たちに下賜されたものです。
私たちを信じて、責任感を持って私たちが鉄の杖を使用することを信じて許されたものです。
私たちが鉄の杖を使用できるから、我々があまりにも強大だと自惚れるようにくださったものではありません。
私たちをあまりにも愛されるからくださったのです。


主の杖とむちが、私たちを慰めるというのです(詩篇23章4節)
主は私の仇の目前で私に賞を下さり、油を私の頭に注ぎます。
敵は我々の周辺をうろうろしながら、私たちをどうすれば引き下げられるか、悩んでいるというのです。
主は私たちに、主に従えば、絶対人生が楽で高速道路だと約束されませんでした。
むしろその反対です。
もっと多くの敵が、我々に石を投げ、破滅を促します。


しかし、我々がその逼迫の真ん中でも、主が私たちに賞を下さることを知り、経験するので、私たちは我々の杯が溢れることを知っています。
神様の善と慈愛が、必ず私に伴うということを知っています。
その言葉は、私たちの人生に花道だけがあるという意味ではありません。
私たちに試練と患難と苦痛があっても、私たちの人生に神の善と慈愛さが伴うということを知るようになるというのです。


そして私が、エホバの家で永遠に生きるだろうというのです。 (詩篇23章6節)
そこはどこですか? エホバの家はどこですか?
神様の家は、主を信じて、従う者たちです。
聖書では、我々が生きている主の聖殿だと言いました。
私たちが主を信じて従う者のコミュニティの中で、生きるようになるというのです。


私たちが個人的に見れば、不完全で煩わしく感じられることもあるが、私たちはいつも記憶しなければなりません。
そのような面倒な部分を超えて、私たちが神様の聖殿である、その神様に従う子女の価値を、再び想起しなければならないというのです。


私たちは自分の偶像化をすることをやめなければなりません。
神様を私たちの唯一無二の主に立てて上げなければならないというのです。
世の中が私に反して、対敵するように感じる時、私たちは神様が私たちにどのように役事されたかを記憶しなければなりません。


イスラエルの民が前には紅海、後にはエジプト王の強力な軍隊がついてくる時のその状況は、明らかに皆さんが直面した状況より、もっと悪い状況だと、私は自信持って言えます。
しかし、その状況で神様に頼った時、どのようなことが起きたか、覚えてください!!


(ある聖歌を思い出そうとしていますが、よく思い出さないようです。)
この世の中で私がほしいものを求めようとしたが、探せなかったね!
ボションウィリアム・ゴスペル歌手が歌う賛美を探してるとおっしゃっていますね。)
JOYという賛美です。
(歌詞:私はもう主に会って、もうこれ以上、苦痛のうめきではなく、喜楽‐喜びがあるね)
(主は私に下さる喜楽、その喜楽は私がこれ以上説明できない。
その喜楽は、私の深い魂を撫でてくれる。主を知っているということは、私を最も自由にする。
主の愛を知っているということは、私を最も安全にする)


神様の力!、神様の能力!!!
神様のみ言葉は、あまりにも強力で、その能力が渇きません。
私たちの真のアイデンティティを教えてくれます。
何かの類人猿やオランウータンの後孫ではなく、私たちは、私達が主の代身者であり、相続者であり、神様の子供という事実を知ることになります。


(今日は賛美がたくさん出ますね。GO to the Rockという賛美のようです。
誰も私を信じない時、私はどこへ行くべきでしょうか?
私は盤石に行きます。別の所は沼だから。
それで私は、私が逃げ場が必要な時、盤石であられる主のもとに行きます。)
家は、絶対足が抜ける砂の上に建ててはいけません。
私たちは磐石の上に家を建てなければなりません。


(賛美の歌詞:私は盤石に行きます。建築家も捨てた角の石だったその磐石に行きます。私は、私の救いである主の磐石に行きます。)


私の力でなく、私の能力でもなく、主の能力に頼りながら、神様に行かなければならないというのです。
私は主の元に行くというのです。
主の中で喜びがあり、主の中で善の良心がある、信実があり、主の中で私の道があるというのです。


主は道であり、真理であり、生命だとおっしゃいました。
私を通じなくては、その誰も救いを得られないと言いました。
神様の栄光のために生きる、ということです。
私たちがそのように生きる時、私たちは能力者の中の能力者になるというのです。
アーメン アジュー

王冠と鉄の杖・王国の思想

王冠と鉄の杖・王国の思想
2-1:6月2日 二代王、GOAラジオに出演-6月3日英語礼拝より


GOAプラット会長:
最終的に、アメリカ建国の父が、市民の武装権を修正第2条として、憲法の基本的人権の一つとして導入したことは、常に悪なる方向にいきかねない、脱線しかねない政府から、いつも自分達を守ることを保障する自衛の手段だということです。つまるところ、アメリカ建国もまさにそういうことが起こったのです。


(アメリカ)独立宣言にも「権力の乱用と権利の侵害が・・・長期にわたって続き・・」と書かれています、そしてこの侵害によって(独立という)最終的決断が出されたのです。だから、建国の父は血気にはやった行動をとったわけではないのです。
第2代大統領のジョン・アダムスはこう語っています。
「独立戦争の最初の一発が撃たれるまでの10年間、人々の心の中に独立への思いが生じてきた。」


私とあなたの共通の目的は、政府は人々のために働き、人々によって雇われ、そしてその行動には制約があり、その制約は究極的には神が禁じたものであり、人々が行き過ぎた政府をストップさせることができる力を国民に持たせるということ(です)。


気の弱いリスナーに、侵略戦争をするための武装ではないことを言って安心させてあげましょう。「鉄のつえ」の意味は、どちらかと言えば、攻撃を仕掛けて来るオオカミから羊を守る牧羊犬のようになるということです。あなたから「鉄のつえ」とは何なのか話してください。


文亨進二代王:
聖句をみたとき、多くの聖句の中に「鉄のつえ」が登場します。たとえば詩編第2章の8、9節には、神様が「もろもろの国を嗣業として与え、地の果てまで所有として与える」とあります。そして「鉄のつえをもって治める」。


詩篇2:8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。
2:9おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。


黙示録の12章にもあります。キリストについてです。


黙示録12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民をべ治めるき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。


また黙示録19章にもあります。ダイス・トマス・マカイダ(両刃の剣)がキリストの口から出てくる、そして再臨のキリストは、鉄のつえをもって諸国民を治めるとあるのです。


黙示録19:15その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。


われわれは鉄のつえによる統治を聖句に求めているのです。
王国の特性を聖書とキリストが定めるとおりにそのまま理解しているのです。
聖書を深く読み込んでいくうちに発見して驚いたこと、そして説教で説いてきたことは、聖書を原典のギリシャ語で読むとき「治める」はポイマイノであって、ポイマイノの意味は、多くの人がここを読んで思っているような、独裁的に治めることではありません。恐ろしいやり方で統治することではないのです。ポイマイノというギリシャ語は、羊飼いの意味であり、つまり(羊たちを)守る、保護するということなのです。これを詩編23章と読み合せてみると、「あなたのつえは私を慰めます」とあります。これは牧羊の文脈では羊を守り保護するという意味につながります。


詩篇23:4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。


聖句の中では、キリストは王国を共同相続人とともに建てるとあります、ロマ書(ローマ人への手紙)8章17節です。世界の王国を治める。


ローマ書8:17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
マタイ19章、24章にもあります。


マタイ19:28イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。


コリント第1第6章、ここでパウロは信徒たちに、「あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である」といっています。


コリントⅠ6:3あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。


神の王国の統治は「一般参加型」の統治だということが聖書的な観点からわかるのです。
しかしキリストによる千年王国の支配は、聖書にもあるように鉄のつえによる統治です。そしてその支配は独裁的専制的な支配ではありません。それはこれまでの人類歴史で繰り返し見てきたような専制独裁支配にとってかわるものです。つまり羊飼い的統治、共同相続人、市民による統治なのです。共同相続人と共に聖句には「王冠を奪われてはならない」とあります。私は時々、co-KINGS(対等で共同の王たち)、co-KINGS &QEENS(対等で共同の王、王妃たち)と言っています。


黙示録3:11わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。


だから市民が武装し、市民が「鉄のつえの力」、自衛する力を持つということです。そして羊たちをオオカミから守り保護する力をもつ。まさに箴言28章にあるように「悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人は獅子のように勇ましい。」ということです。
箴言28:1悪しき者は追う人もないのに逃げる、正しい人はししのように勇ましい。


だからユダ族の獅子(キリスト)とともに立つとき、キリストの共同相続人、共同の王、そして獅子として立つということです。



●2018年6月27日 韓国語説教
天一国では、天一国王国では、一般市民は羊ではなく獅子です。氏族の王と王妃たちが獅子達です。獅子。何故か?キリストの象徴的な動物は何か?獅子です。獅子。ユダの獅子。キリストと共に立ち上がり、共に国を守り神様と共に王国を守る、神様の王国を守る氏族王と王妃は、どういうものか?獅子です。獅子。箴言28章に出てくる獅子、そうですね?


「義人は獅子のように勇敢でありなさい。大胆でありなさい。」皆さんは、狼に捕まってしまう羊ですか、それとも箴言28章の義人の獅子のように大胆な人なのか。


それはどういうことか?市民が、氏族王と王妃として天一国で鉄の杖の主管をするのです。鉄の杖の主管をするのです。鉄杖の訓練をします。鉄杖道の訓練と、戦う本当の武道訓練。


悪人が力で市民を主管出来ない国、王国。義人が獅子のごとく大胆であれという箴言28章、その前に出てくる句が何だ?義人が獅子のごとく大胆であれ、その前に出てくる内容は何かというと、義人が悪者たちを追い出さなくても悪者が逃げる、逃げて行く。
これが出てきます。悪人が、追い立てる者が無くとも逃げ出す。


何故か?市民は、氏族の王と王妃として土地を所有し、税金から開放されており、自らが作った豊穣を自ら投資し、社会の助けとなる人であり、分け与えることのできる人。そして、銃器所有、鉄杖道の人、もう一度、聖句をもう一度。だからその獅子が、市民が、氏族の王と王妃が獅子だから、悪人は追い立てる者が無くとも逃げ出す。逃げ出す。どうして?市民が追い立てなくても鉄の杖があるから、こいつらが逃げ出す。


2-2:フロリダ自由を守る決起集会 2018年6月30日より。


私たちの建国の父は、政府は国民の僕としてあることを知っていました。決して主人ではないということです。
しかし短い240年程の間に、国民に仕えるべき政府が、主人の立場に立ちました。人間すなわち神の子たちは、権力と創造主のようになる欲に魅了された者達に言いくるめられ、悪魔の嘘を信じて、政治家が与える誘惑的な約束を信じたのです。世界の問題を強大な政府が解決するという約束です。より多くの法律、より多くの検閲、より多くの規制、すなわち天使長制度です。
国民の僕である政府がこうした誘惑、深く侵入し根を張った強力な誘惑を通して、国家レベルで支配権(主管性)を転倒させたのです。最初は国民に仕える立場であった政府が主人になりました。


腐敗と特殊権益、不法な諜報活動などを使って、現在みられる姿になりました。すべて政府の権力の最高の場所で話し合われるのです。
もしヒラリー・クリントンが大統領になっていたなら、これがアメリカの前に敷かれた軌道だったでしょう。


とくに重要なことは、連邦政府がその権力をフルに用いて、憲法修正第2条に攻撃を仕掛け、無効にしようとしていたでしょう。ヒラリーは大統領になれば1年以内にそうすると豪語していました。急進派の行き着く先はこういうところです、全体主義国家です。


エリートたちは法の届かないところにいて、連邦政府の権力を総動員して市民を支配し、武装解除して、服従させようとしているのです。これは創造時に神様がその子供たちに予定したことではありません。まさに暗黒郷(ディストピア)、キリストを憎む地上地獄であり、グローバリズムのエリートと、ソシオパス、虚弱なカルト信者、メディアのシステムなどが私たちの未来と運命を奪おうとしているのです。



それは直ちに自由の破壊という狂った反人間的アジェンダに戻るということです。敵対する者を盗聴、検閲し、反対意見を持つ者を犯罪者に仕立て上げ、大衆から武器を奪い、反キリスト、政治サタン主義、すなわち社会主義統治を甦(よみがえ)らせようとしているのです。


しかし、神の世界には希望と明るい見込みがあります。明るい見込み-それは黙示録3章12節にあるように、キリストが新しい名をもって再び来られて、信じる者に、最後の日に必要となる神の装具を与えてくださることです。


黙示録3:12勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう。


第一の装具は王冠です。
これは主権と王の血統を象徴するとともに、われらの天の父の約束です。


詩編2章8節
詩篇2:8 わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。2:9おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」と。


黙示録 3:11わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分の持っているものを堅く守っていなさい。


●地のはてまでも与える。(王妃様:おまえの所有として地のはてまでも)おまえの所有!(王妃様:嗣業としておまえに与える)(2018年2月7日水曜礼拝)


●ここでもまた、私有財産の重要性が込められています。それは自由な市場、自由な取引には欠かせないものです。自分の所有が何か、明確に知ることなしには他の人々と、実際的に売買することができません。どういう利益を得るのかはっきりとわからなければウィン-ウィンの活動が成立しません。すべてが共有物であり自分のものが何なのか決めることができなければ、物々交換もできません。経済が崩壊することはいうまでもありません。
ここ(詩編の聖句)は私有財産のことをいっているのです。もちろんこれは社会主義共産主義政府の禁止するものです。(2018年6月17日英語礼拝)



(この聖句を主張するならば)
人びとが英国女王を受け入れ、ヨーロッパ、アジア、アフリカの王を受け入れているとするなら、この世の王族が、百姓か農奴としか見ていないあなたや私が、万王の王、キリストと共同相続人である、われわれの王権と王統を主張されていると主張するとき気が狂ったカルト信者と呼ぶでしょう。
神様が、神の王国の支配の在り方を決められたのです。
人間が決めたのではありません。オバマでもヒラリークリントンでもないのです。
神様が、ご自分の王国の支配の形を決められたというのです。
(第二の装具は鉄の杖です。)


黙示録2:27彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である。


黙示録12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。


黙示録19:15その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。


鉄のつえはキリストの用いる道具であり、永遠の王国の共同相続者に持つことを求め、授けられるものであるのです。



神の子として、すべての男女は「鉄のつえによる支配」を、受け入れなければなりません。王族の証である王冠をもち、鉄のつえをもつのです。
神様は鉄のつえは、現代のマスケット銃であるAR-15ライフルだと明らかにされました。
悪人、毛沢東は「政治権力は銃から生まれる」といいました。その力を用いて自国民から武器を取り上げ大量虐殺を重ねたのでした。


善人たちが鉄のつえを持ち、世界中の良民が神の国の共同相続者として銃火器の力を管理するとき、犯罪行為を抑止し、学校で乱射するサイコパスにストップをかけ、大量虐殺が得意な専制政府の独裁者が調子に乗らず、怖け震わせるのです。


オオカミは鉄のつえを持つ羊飼いを怖れます。ただ、物理的な鉄のつえを所有するだけで略奪者サイコパス層は怯えるというのです。そして羊たちは安らぎを得ます。


詩編23章には、
詩編23:4たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
なたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます

とあります。


善なる自由人が、「神を愛し隣人を愛する」というキリスト教倫理観をもって、武力を用いる主権の世界に入るとき、そこに平和があり、神を畏れる良民が、自由に武装する権利を行使するとき悪は敗れるのです。


鉄のつえの力を政府が独占するのではなく、正しい人々が握るとき、お互いを守り合うことで人びとは繁栄し、成功します。互いが利益を得る(ウィン-ウィンの)人類が繁栄する、そういう企業を創業するのです。


神の国というのは神様の愛と正義、そして慈愛が支配する国、世界を鉄のつえの統治によって導く国です。これはキリストによる専制ではありません。そうでないなら神様のみ言と矛盾します。
ヘブライ人への手紙には「キリストはきのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」とあります。
ヘブライ書13:8イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。


アダムとエバの神様は人間に自由な意志を与えられました。彼らの自由意志を重んじるあまり、御自分を憎み不従順であることまで許されました。
人々に「悔い改めよ、私のもとに帰れ」と旧約の預言者を通して叫ばれた神は哀しみの神でした。次の聖句です。


エゼキエル18:30それゆえ、イスラエルの家よ、わたしはあなたがたを、おのおのそのおこないに従ってさばくと、主なる神は言われる。悔い改めて、あなたがたのすべてのとがを離れよ。さもないと悪はあなたがたを滅ぼす。


ヨハネによる福音書3:16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。


神はこれほど世を愛されるがゆえに、キリストが再び来られた時、キリストの共同相続人として共に鉄のつえで治めるのです。
ギリシャ語(新約聖書原典)では「治める」は「ポイマイノ(ποιμαίνω)」です。それは「(羊飼いが羊を)導く」あるいは「守る」という意味です。


黙示録20章4節と6節には、「彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した」「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」とあります。


黙示録20:4また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。 20:5(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。 20:6この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。


マタイ25章には、「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 33 羊を右に、やぎを左におくであろう」とあります。


神様の永遠の王国は決して、多くの社会主義者の牧師や説教師が破綻した神学をもって説くような社会主義福祉国家ではないのです。神の王国は、王と王妃たちがキリストと共に治める王国です。そこにはキリストから与えられた権威と責任があり、そこでキリストと鉄のつえをもって共同統治するのです。


鉄のつえの権力を、すべての王国の市民に分権します。神様は悪を完全に打ち破り、王であられる神様の子女として、キリストとの共同の相続人として委ねられた集団的な力で、悪を震わせるまでに打ち据えるのです。


マタイ25章(32~34)です。
マタイ25:32そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 25:33羊を右に、やぎを左におくであろう。 25:34そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。


●『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。
イエス様は御自身の福音が御国(王国)の福音だと言われています。ここを避けて通ることができません。あまりにも明確です。(2018年6月17日英語礼拝)



私たちはキリスト教会で、イエス様を社会主義共産主義者で独裁的な暴君であるかのように描く、偽りの異端的な自由神学の教義を説くいかなる牧師、説教者を強く非難します。


神様は政治サタン主義の独裁者や、過去の偽りの王族などではありません。
天地の真の王様がわたしたちを共同の相続人、共同の王として呼んでおられるのです!
そしてそのお方とともに立って、万王の王、主の主の王家の血統を現実のものとすることで、生命と自由と愛と善を守るのです。


鉄のつえを守りの装具として受け取り、王国とその神の民、そして、キリストの文化と文明を永遠に守りましょう!
神の祝福と、成功を祈ります。
神の御国がきますように!


2-3:共同相続の重要な御言補足


どのような人がキリストの王国を共同相続できるのか


マタイによる福音書5章5
5:5柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。


柔和な人!地を受け継ぐであろう。土地所有!
聖書で柔和であると言う時、これは弱いという意味ではありません。柔和であるという、プラウス(praus)は何を意味するのか?神様の能力、神様の力を使用する者、神様の力を使用する者、神様の主管圏の下、神様の力を使う者です。実は、柔和な意味を間違っています。
柔和であると考えた場合、神様の力、神様の主管圏の力を持っている人だと思いますか?違うでしょう?
神様の力を持っている人ではなく、神様の力を使っている人!これが、柔和であるという意味です。プラウス(praus)!


間違って翻訳された内容です。なぜ間違って翻訳したのか?市民たちを弱くするために、市民たちを奴隷にするための翻訳です


プラウス(praus)は何を意味するのか、どういう意味ですか?神様の主管圏の下、神様の力を使用する!神様の権能を使用する者、とてもつなく強いのです。
それでも謙遜で、私は罪人だということを知って、恵みによって救われる人として、王と王妃として神様の権能を使用する者、もちろん、義のためのために、義のために使用するのです。悪を閉鎖するための、神様の義を使用する者、神様の能力を使用する者です。(2018年6月27日韓国語礼拝より )

マタイ福音7章7節を御利益信仰で見てはいけない。

7月5日の説教から
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今日の聖書リマは、マタイ福音7章7節です。


7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。



祈福信仰について非難する話も、私がみ言葉の中でしました。
祈福信仰(ご利益信仰)をする人たちは、マタイ福音7章7節を聞きながら、それが何が悪いかと言います。
この聖句を挙げるのです。
自動車を下さい、これを下さい、イエス様を信じれば10億を下さるだろう、私の願いを聞き入れてくださるだろうと祈るのです。
面白いことに、イエスを信じて10億をもらった人の例まで挙げながら、自分にも下さるだろうと思ったりもします。


しかし、そのような経験をした人たちは、神様がそうしなければならない義務があるから、そうされたのではありません。
神様はランプの中の妖精ではありません。
私たちの命令を聞く犬ではありません。
私たちが願って、私たちの言うことを聞かなければならない存在が神様ではないのです。


もちろん、神様は善良な父であられます。
しかし、そのどんな善の父も、子供がおもちゃを買ってくれと騒いで地面に横たわったからといって、子供に買ってあげないでしょう。
愛の父親ならばその子供に、'君は神様ではないんだよ、君がほしいものを君が望む時に、全部もらうことはできない'と話してあげるはずです。


飴を今すぐ私がほしいからくれと言う肥満症の子供に、飴を快く出す良い父親はいないでしょう。
それはその子供に良くないからです。
私たちを愛しすぎるために、私たちが望む度におもちゃを買ってくれて、私たちが食べたいたびに、キャンディーをくれないのです。


神様は私たちと関係を結ぶことを望んでおられます。
どのように関係を結ぶことを望まれるのか?
神様のみ言葉で、関係を結ぶことを望まれます。
信仰は、神様のみ言葉を聞くことで成長するからです。
だから、私たちは、聖書を本と言わずに"一人の人"と言っているのです。


私たちがある人と知り合って、関係を持とうとするならば、その人と時間を送らなければならないように、私たちが神様をさらに深く知りたいのなら、我々は神様のみ言葉ともっと時間を送らなければなりません。
何が好きなのか、何を嫌いなのかを、御言葉を通じて分かるようになります。
我々が欲しがる想像の魔法のランプの神様ではなく、み言葉の中で生きている神様と関係を結んで行くのです。


16世紀に、グーテンベルクの活字印刷術を通じて翻訳された聖書が普及(その前まではカトリック教会によって、ラテン語聖書だけを使ったために、一般の人たちは聖書を読むことができなかった)されたので、その前までは人々が直接読んでみ言葉と関係を持つことができませんでした。
ただカトリック教会の聖職者たちの口を通じて、み言葉を聞くことができました。
グーテンベルグが一番最初に印刷した本が、すなわち聖書でした。
活字印刷術で聖書が本として作られて普及されてから、やっと一般の人たちもみ言葉を直接読んで、聖霊から直接み言葉をもらって、直接関係できるようになったのです。


そのようなパターンで、米国というキリスト教の国が誕生するようになったのです。
神様から与えられた人権が構築され、自分のことがいくら惨めに見えても、片手には自分の土地と家族を守る農機具と銃を持って、もう片手には聖書を持って、米国の土地を開拓してきたのです。


グーテンベルグの活字印刷術が、神様のみ言葉、聖書をすべての人たちに読む機会を与える革命を起こしたと言えば、今の時代にはインターネットを通じてグーテンベルグが起こした印刷革命を上回る革命が起きています。
今日の分野の最も高い知識と情報が今では、インターネット上で距離と関係がなくネット上で共有できるし、哲学思想と政治見解が分かれて真実が普及されます。


今日のリマ「求めよ、そうすれば下さるだろう」で、私たちが考えるべきことは、我々が願うことに焦点するのではなく、人間に対する神様の心情に焦点を合わせなければならないということです。
これをくれ、あれをくれ、ということは、神様と関係を深く積むようになれば、望むものも変わるし、そんなことも望まないようになります。


真のお父様はいつも、神様を慰労する人にならなければならないと言われたのですが、真のお父様はいつも神様とあまりにも多くの時間を過ごされ、み言葉と一緒されたから、そう言われたのです。
わあ! その考えをしながら、私の体に悟りで鳥肌が立つようです。
私たちが神様と関係が深まれば深まるほど、私たちは我々の意がこの地に成されるのではなく、神様がみ意が行われまうよう、という祈祷が自然に出てくるのです。
神様、あなたが望まれることが成されるよう、祈り申し上げます。


もし酷い病気の人のために祈りをする時は、この人を必ず良くなるようにしてくださいと祈るのではなく、神様、この人が治ることがあなたのみ意なら、あなたのみ意に任せながらお祈りを捧げます。受けとめてくださいと祈るのです。
実に違う祈りでしょう。


私たちには、神様を左右できる権威のようなものはありません。
神様は私たちに、サタンに命令をできる権威を付与されました。
しかし、神様に命令を下しながら、私の意思を貫徹する権威は、絶対に許されなかったのです。


ある人たちは、ランボルギーニ(高い車)をくれと祈祷をするのですが、実は私は、なぜそんな車を望んでいるか、よく理解をすることができません。
私は車がそんなに好きな人ではないからそうかもしれないが(もちろんキングモービルが自分の一番好きな車だともおっしゃいました^^)、私には新たな武道の技術を悟ることや、自然で享受する家族との時間が、そんな高価な車よりいいです。


子供たちとブッシュクラフティングをする時、実は子供たちは不平を言います。
その時、親は子供たちを説得して、現実を少し悟らせる必要があります。
'君たち、ゾンビのようにビデオゲームを一日中して、人生に一つも役に立たない事をしながら半日を送っただろうと、現実を話して上げながら、それが君の人生に役に立つのか、それとも今外の自然に出て、家族の時間を持つのがもっと良いのだろうかと、大人気に怒らずに聞いたら、不満だけどそれでも'はい"と返事をします。


私たちは子供たちに、責任分担は神様が許された"パワー"だということを悟らせるようにして上げなければなりません。
子どもたちは、自分の親たちの祝福結婚生活が良くなければ、自分も自然に祝福結婚生活が悲惨で苦しいだろうと思います。
しかし、私が昨日韓国礼拝でも強調したように、我々に責任分担というプレゼントの"パワー"があるから、その悪の循環を打ち破って、素敵な神様の祝福家庭を成すことができるのです。
ある人たちが縛られている親世代の不幸な家庭生活が、私にも繰り返されるかもしれないその運命を、"責任分担のパワー"でその方向を変えるのです。
素敵ではありませんか!
神様はそんな責任分担を許されたのです。


私たちは完全な神様の前では、罪人たちです。
私たちがどのような義を神様の前に立てようとしても、神様はそれをご覧になりながら感動され、衝撃を受けられないというのです。
神様は私たちを創造した創造主です。


子供たちとの関係でも、親が責任分担をしなければなりません。
子供たちにとっては、5時に起きて日曜の敬拝をするのは、本当に苦しいことだと思うかもしれませんが、私には日曜敬拝を5時にすることはとても楽しかったです。
なぜなら、敬拝後に私たちは、その夜明けの朝からダンキドーナツ、ボストンクリームを食べられたからです。
もちろん、真のお父様が長くお話をされたりもして、体を何度も綯ったりしますが、今思えば、お父様が私たちと時間を一緒に過ごしたかったという思いに、おのずから頭が下がり、感謝の気持ちが湧きます。


日曜礼拝を一緒にするのも、家族の重要な伝統になるでしょう。
ある統計によると、毎週一緒に礼拝に出席する夫婦は、結婚の維持率が80%以上だそうです。
神様のみ言葉を一緒に聞くことが、こんなにも重要なことなのです。


私たちの多くの子供たちが、高校まではそれでも親と多くの時間を過ごしますが、左派養成所大学に行くと、完全に違う人になってしまいます。
マルクスの左派社会主義思想を受け入れて、文化サタニズムを受け入れて、妊娠中絶は女性の選択であるという考えを学び、それを何の罪悪感なく犯します。
多くの親は子供を教育する際に、ある政治的な問題と判断をめぐって、どう考えるかを全く考えません。
中絶をめぐって、政治的な問題をめぐって、どのようにそれを分析して、神様の観点で考えなければならないのか、考えません。
キリスト教的な弁証法で、神様のみ言葉を説明してあげないのです。


全ての親が、初めて親になった時、下手でうまくできないのは当たり前です。
しかし、親になる前に親になることを準備することができます。
私とクイーンも一生懸命に親になることを勉強し準備して、知恵を、経験のある人たちから助言を求めました。
保守の方の教育法とかキリスト教的な育児法を研究して、勉強して適用しようとたくさん努力しました。


もちろん、完璧な親はいません。
そして、そのように良い両親になろうと努力するからと言って、子供たちが100%よく育つという保障がないというのも事実です。
しかし、そうすることで、私たちは子供たちを神様のみ意に合わせて育てられる可能性を高めます。


子供たちと有意義な本を読んで、一緒に討論をして、難しい質問を受けて一緒に成長するのは、未来の子供たちが結ぶ結実を巡って見ると、どんなに良いことなのですか?
仕事を終えて家に戻って来て、コンピュータゲームやテレビを見ている子供たちに、'今日をどうだった?"と聞くより、はるかに良いことではありませんか?
私たちに親としての責任分担があるのは、我々が人間としての価値を持つことを意味するというのです。


私たちが本当に小さくは私の周辺を整理して、朝起きて布団をたたむ責任分担をしながら、私たちは我々の人生で少しずつ責任を実践して、前に進むことができるのです。
私たちが我々の人生で私達の責任分担を行いつつ、他の人たちも責任分担を遂行できるように手助けするのです。
他の人たちの責任分担を代わりにして上げるといって、その人が責任分担をできるようになるのではありません。


子供たちがもし、ガラスのコップを割ったとしたら、クイーンも行ってそれを危険だと言いながらやってあげようとするのですが、私がこう言います。
してあげないで、子どもたちに説明しながら子供たちができるようにしなさいと言いました。
'大きなかけらは先に破れない袋に入れて、見えないようだけどあるかもしれないガラスの破片を、雑巾で拭き取って掃除機で吸引しなさい'と、説明するように私が言いました。


私が武道家で責任感がある行動を、もし悪い人が私の子供たちを害そうとしたら、私だけがその悪い人に対抗して戦うのではなく、子供たちにも武道の訓練をさせて、子供たちもその悪い人に一緒に対抗して戦えるように、子供たちの力を育ててあげるのです。
それが良い父親がやらなければならないことではないでしょうか?


もちろんお母さんたちの、子供たちを愛する心は十分に理解します。
しかし、お母さんが子供たちのためにやり続け始めると、その子供たちは何もできない人になってしまいます。
それは真に子どものための親ではないでしょう。
今日のリマのように、私たちの望みが叶うようにと祈祷する人ではなく、神様のみ意がかなうことを願って祈祷する我々自身になり、またそのような家庭を作りましょう。


フロリダ自由を守る決起集会

<二代王文亨進牧師 スピーチ:全文> 


フロリダ自由を守る決起集会 2018・6・30(フロリダ)
Rally to Protect our Freedoms 2018 :サンクチュアリNEWS  翻訳 Harryさんより転載。
北朝鮮には絶対的に修正第2条(市民の武装権)が必要です!
普段は思いつくまま話すのですが、今日はみなさんと聖句をみていきたいと思いますので原稿を用意しました。
アダムとエバがエデンの園にいた創世記の話をみますと、神様はアダムとエバ、すなわち人間に「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ」と命じられました。
全宇宙の創造者である神様が、子である人間、アダムとエバに全地を支配せよと祝福して下さったのです。


力ある天使長で、神の創造の業に助力したルーシェルには相続されませんでした。神様の子の主人ではなく、僕となるべき天使長でした。しかし、アダム、エバの堕落を通して神の子たちは、純粋性と祝福に対する主権を失っていまいました。
ルーシェルは支配権を転倒させ、天使界の3分の1の天使がこの「サタン」の後に従いました。僕としての正当な位置を離れ、人間の主人になったのです。
私たちの建国の父は、政府は国民の僕としてあることを知っていました。決して主人ではないということです。しかし短い240年程の間に、国民に仕えるべき政府が、主人の立場に立ちました。人間すなわち神の子たちは、権力と創造主のようになる欲に魅了された者達に言いくるめられ、悪魔の嘘を信じて、政治家が与える誘惑的な約束を信じたのです。世界の問題を強大な政府が解決するという約束です。より多くの法律、より多くの検閲、より多くの規制、すなわち天使長制度です。
国民の僕である政府がこうした誘惑、深く侵入し根を張った強力な誘惑を通して、国家レベルで支配権(主管性)を転倒させたのです。最初は国民に仕える立場であった政府が主人になりました。


腐敗と特殊権益、不法な諜報活動などを使って、現在みられる姿になりました。すべて政府の権力の最高の場所で話し合われるのです。
もしヒラリー・クリントンが大統領になっていたなら、これがアメリカの前に敷かれた軌道だったでしょう。自分の夫がレイプした女性をことごとく政治的に抹殺しました。私はそれら犠牲者の中の数名に、私の番組(キングズレポート)でインタビューしました。もしヒラリーがホワイトハウスに入るなら、その最高の資金提供者が、ナチス協力者のジョージ・ソロスになったことでしょう。
そこから完全にして完ぺきな連邦政府の中央権力を使って、国に養われているメディアと併用しながら、まさに、いまグーグルや、フェイスブック、YouTubeがやっているように、反対者を盗聴、検閲し、・・ところで私たちのYouTubeのチャンネルは3回移動しました・・・3回削除されたのです・・。ヒラリーは連邦の警察権を握り、情報機関を掌握し、それを国民に対して使ったことでしょう。パークランドの高校銃撃事件でわかるように、メディアやFBI、そして保安官の失態。もちろん数年前のバンディ・クライシス事件もありました。


また、教育の中央化を図るアメリカ教育省(1979設立)は、極めてマルックス主義的システムで、子供たちに、アンチ神様、アンチ銃、中絶支持の思想、そして超過激な性的教育、性に関する少数派のライフスタイル、トランスジェンダーや小児性愛の肯定化(マイナー・アトラクション症候群)などを感受性の強い子後もたちに教えているのです。これはUN(国連)ではすでに進められていることであり、NAMBLA(未成年者の少年との合法的な性行為をする事を求めるアメリカ合衆国の組織・北アメリカ少年愛協会)があり、スウェーデンではイスラムに妥協して少女が法的に結婚できることになっているのです。
とくに重要なことは、連邦政府がその権力をフルに用いて、憲法修正第2条に攻撃を仕掛け、無効にしようとしていたでしょう。ヒラリーは大統領になれば1年以内にそうすると豪語していました。急進派の行き着く先はこういうところです、全体主義国家です。
エリートたちは法の届かないところにいて、連邦政府の権力を総動員して市民を支配し、武装解除して、服従させようとしているのです。これは創造時に神様がその子供たちに予定したことではありません。まさに暗黒郷(ディストピア)、キリストを憎む地上地獄であり、グローバリズムのエリートと、ソシオパス、虚弱なカルト信者、メディアのシステムなどが私たちの未来と運命を奪おうとしているのです。


ヨーロッパがどうなりましたか。大量のイスラム避難民が(ヨーロッパの)2つの大きな都市に流入し戦略的な文明の衝突を引き起こしています。国が不安定化し、このグローバル共産主義に対して立ち上がることのできる一体的文化を維持することが難しくなっています。
政治的サタン主義者たちはアメリカの首を取ることを最大の目標にしているのです。UNの国際共産主義の一つの世界のもとにアメリカを支配し、征服し専制にひきずりこもうとしているのです。


政治的サタン主義、共産主義、社会主義はアメリカで急速に拡大しています。公然たる共産主義者、社会主義者が、ニューヨーク州の議会選に立候補して当選しています。社会主義者バーニー・サンダースの票を不法に奪って民主党全国大会で(大統領)候補になった者(ヒラリー・クリントン)もいました。


いま、アメリカの若者の44%が社会主義の国で暮らしたいと言っているのです。
アメリカにとってそれがいいと洗脳された若者のうち、44%は社会主義体制で暮らしたいと思っているのです。アメリカでは共産党員は逮捕されます。(訳注:アメリカでは共産党活動は違法)マルクス主義、社会主義、共産主義は、お父様が言われたように政治的サタン主義であり、自由の国とは180度異なっているのです。マクシーン・ウォーターズのような過激な急進的左翼の政治家などはトランプ支持者に対して嫌がらせを仕掛けるよう呼び掛けています。また別の左翼は暗殺まで呼び掛けているというのです。われわれの大統領を辞めさせるために国内テロを起こせと。


われわれの大統領と、ここに集った愛国者の群は、一般の人たちのため、キリスト教的価値観のために、また自分たちの信仰と家族、ユダヤ・キリスト教的文化を守る力のために、暴力的な巨大な犯罪者、邪悪な者たちと闘っています。
私たちの活動は、昨年、ヨーロッパのスイスで、銃所持権の集会を、GOAのラリー・プラット会長を招いて開くという機会に恵まれました。


しかし最も銃器に寛容であるスイスにおいてさえ、「銃所持の権利」ということを口にするだけでポリティカルコレクトに反するという事情に恐れをなして集会に参加してスピーチをすることを拒んだことには戸惑いを禁じ得ませんでした。これは恥ずべき文化であり、アメリカは、これを押し付けられようとしているのです。
われわれは決して自己防衛の権利を恥ずべきものだと考えるべきではありません。自己を守る権利は神から与えられた人権であり、アメリカだけのものではないのです。
われわれの戦いは、すべての抑圧され、武器を奪われた神の子たちの権利のための戦いです。この闘いはまずここアメリカで勝利しなければなりません。
私の父は、金日成体制下の北朝鮮の死の強制収容所を逃れ、南の韓国に下ってきた時まず韓国国民が武装できるようにと銃器工場を建てました。その後、韓国政府のためにバルカン砲やカービン銃まで生産できるようになりました。


父はアメリカでワシントンタイムズを創刊しましたが、これは,共産主義、政治サタン主義が自由な国民に及ぼす信じ難いまでの脅威を理解していたからです。
トランプ大統領とその支持者たちは、急進的左翼、文化マルクス主義カルト信者によって人種差別主義者、ファシストと呼ばれ、暗殺や弾劾まで計画されています。
アメリカは生死をかけた苦しい戦いを余儀なくされています。その中でも救いは、この執念深く、悪意と憎しみに満ちた左翼が急進派イスラムと共闘している中にあっても、この先トランプ大統領の位置が揺るがないという見通しです。


政府が寛大だから与えられたのではなく、神様から与えられた自由と権利を、彼らはどうしようというのでしょうか。それは直ちに自由の破壊という狂った反人間的アジェンダに戻るということです。敵対する者を盗聴、検閲し、反対意見を持つ者を犯罪者に仕立て上げ、大衆から武器を奪い、反キリスト、政治サタン主義、すなわち社会主義統治を甦(よみがえ)らせようとしているのです。


ヨハネの黙示録に、このような地球規模の混乱を描いている部分があります。善と悪の最終戦争が戦われます。キリストを信じる者たちは、あざけりを受け、侮蔑され、殺され、首を切られるとあるのです・・いまシリアで起こっているように。
1つの世界政府が世界を支配し、地からはうめきと苦しみの声があがります。まさに現在のように!


しかし、神の世界には希望と明るい見込みがあります。明るい見込み-それは黙示録3章12節にあるように、キリストが新しい名をもって再び来られて、信じる者に、最後の日に必要となる神の装具を与えてくださることです。


第一の装具は王冠です。これは主権と王の血統を象徴するとともに、われらの天の父の約束、詩編2章8節にある、「8わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える。9 おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう」黙示録3章11節「あなたの冠がだれにも奪われないように」。


人びとが英国女王を受け入れ、ヨーロッパ、アジア、アフリカの王を受け入れているとするなら、この世の王族が、百姓か農奴としか見ていないあなたや私が、万王の王、キリストと共同相続人である、われわれの王権と王統を主張されていると主張するとき気が狂ったカルト信者と呼ぶでしょう。
神様が、神の王国の支配の在り方を決められたのです。人間が決めたのではありません。オバマでもヒラリークリントンでもないのです。
神様が、ご自分の王国の支配の形を決められたというのです。


黙示録2章27節がいうように、「彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である」、また黙示録12章5節では、「女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた」とあります。


また黙示録19章15節には「その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む」
鉄のつえはキリストの用いる道具であり、永遠の王国の共同相続者に持つことを求め、授けられるものであるのです。


神の子として、すべての男女は「鉄のつえによる支配」を、受け入れなければなりません。王族の証である王冠をもち、鉄のつえをもつのです。神様は鉄のつえは、現代のマスケット銃であるAR-15ライフルだと明らかにされました。
悪人、毛沢東は「政治権力は銃から生まれる」といいました。その力を用いて自国民から武器を取り上げ大量虐殺を重ねたのでした。


善人たちが鉄のつえを持ち、世界中の良民が神の国の共同相続者として銃火器の力を管理するとき、犯罪行為を抑止し、学校で乱射するサイコパスにストップをかけ、大量虐殺が得意な専制政府の独裁者が調子に乗らず、怖け震わせるのです。


オオカミは鉄のつえを持つ羊飼いを怖れます。ただ、物理的な鉄のつえを所有するだけで略奪者サイコパス層は怯えるというのです。そして羊たちは安らぎを得ます。
詩編23章には、「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます(詩編23:4)」とあります。


善なる自由人が、「神を愛し隣人を愛する」というキリスト教倫理観をもって、武力を用いる主権の世界に入るとき、そこに平和があり、神を畏れる良民が、自由に武装する権利を行使するとき悪は敗れるのです。


鉄のつえの力を政府が独占するのではなく、正しい人々が握るとき、お互いを守り合うことで人びとは繁栄し、成功します。互いが利益を得る(ウィン-ウィンの)人類が繁栄する、そういう企業を創業するのです。


神の国というのは神様の愛と正義、そして慈愛が支配する国、世界を鉄のつえの統治によって導く国です。これはキリストによる専制ではありません。そうでないなら神様のみ言と矛盾します。ヘブライ人への手紙には「キリストはきのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」とあります。


アダムとエバの神様は人間に自由な意志を与えられました。彼らの自由意志を重んじるあまり、御自分を憎み不従順であることまで許されました。
人々に「悔い改めよ、私のもとに帰れ」と旧約の預言者を通して叫ばれた神は哀しみの神でした。神は、その独り子、イエス・キリストをお与えになったほどに、世を愛されたのです。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るために。(ヨハネ3:16)
神はこれほど世を愛されるがゆえに、キリストが再び来られた時、キリストの共同相続人として共に鉄のつえで治めるのです。ギリシャ語(新約聖書原典)では「治める」は「ポイマイノ(ποιμαίνω)」です。それは「(羊飼いが羊を)導く」あるいは「守る」という意味です。
マタイ19章(28)では、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう」とあります。
黙示録20章4節と6節には、「彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した」「彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」とあります。


マタイ25章には、「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 32 そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 33 羊を右に、やぎを左におくであろう」とあります。
神様の永遠の王国は決して、多くの社会主義者の牧師や説教師が破綻した神学をもって説くような社会主義福祉国家ではないのです。神の王国は、王と王妃たちがキリストと共に治める王国です。そこにはキリストから与えられた権威と責任があり、そこでキリストと鉄のつえをもって共同統治するのです。


鉄のつえの権力を、すべての王国の市民に分権します。神様は悪を完全に打ち破り、王であられる神様の子女として、キリストとの共同の相続人として委ねられた集団的な力で、悪を震わせるまでに打ち据えるのです。
マタイ25章(32・33)です。
「彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい』」。


私たちはキリスト教会で、イエス様を社会主義共産主義者で独裁的な暴君であるかのように描く、偽りの異端的な自由神学の教義を説くいかなる牧師、説教者を強く非難します。
神様は政治サタン主義の独裁者や、過去の偽りの王族などではありません。
天地の真の王様がわたしたちを共同の相続人、共同の王として呼んでおられるのです!
そしてそのお方とともに立って、万王の王、主の主の王家の血統を現実のものとすることで、生命と自由と愛と善を守るのです。鉄のつえを守りの装具として受け取り、王国とその神の民、そして、キリストの文化と文明を永遠に守りましょう!
神の祝福と、成功を祈ります。
神の御国がきますように!

マタイによる福音書5章  柔和な人たちはさいわいである。の柔和は誤訳!本当は神様の力を使用するという意味。

6月27日からの説教から
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マタイによる福音書5章
5 柔和な人たちはさいわいである。彼らは地を受け継ぐであろう。


柔和な人!地を受け継ぐであろう。それは何?土地!地上!地球!土地!所有!
柔和な人、柔和な者、皆さんが見ているCBSのクリスチャン放送に出てくる、社会主義キリスト教は、「皆さん、柔和にしなければなりません。柔和にしなければなりません。だから銃器所有してはいけません。柔和にしなければ、柔和にしなければ。」


柔和はギリシャ語、プラウス(praus)から来ています。プラウス(praus)は、柔和な意味だと翻訳したのですが、プラウス(praus)はどういう意味ですか?見ましょう。(プレイス(praeis)とプラウス(praus)を間違えておられたようです。)


聖書で柔和であると言う時、これは弱いという意味ではありません。柔和であるという、プラウス(praus)は何を意味するのか?神様の能力、神様の力を使用する者、神様の力を使用する者、神様の主管圏の下、神様の力を使う者です。実は、柔和な意味を間違っています。韓国語で考えてみると、そうでしょ?


柔和であると考えた場合、神様の力、神様の主管圏の力を持っている人だと思いますか?違うでしょう?神様の力を持っている人ではなく、神様の力を使っている人!これが、柔和であるという意味です。プラウス(praus)!


間違って翻訳された内容です。なぜ間違って翻訳したのか?市民たちを弱くするために、市民たちを奴隷にするための翻訳です。


プラウス(praus)は何を意味するのか、どういう意味ですか?神様の主管圏の下、神様の力を使用する!神様の権能を使用する者、とてもつなく強いのです。
それでも謙遜で、私は罪人だということを知って、恵みによって救われる人として、王と王妃として神様の権能を使用する者、もちろん、義のためのために、義のために使用するのです。悪を閉鎖するための、神様の義を使用する者、神様の能力を使用する者です。はるかに武士的な感じがあります。ギリシャ語では。


柔和なという意味には、韓国では、武士の戦闘的なそんな感じが一つも無いではないか。これは市民たちを奴隷にしているのです。武士に育てず、偽りの福音、偽りの翻訳、だから、韓国のキリスト教はそのように弱く、不正と腐敗と社会主義に陥るではないですか。


このような内容をきちんと理解すれば、イエスが平和軍警察と善い人たちが、サイコパスではない人たちが鉄のつえで、全世界を治める未来の王国を説明する時、今は理解することができるでしょう。はるかにもっと深く理解することができるでしょう。
八福(イエス様が山上の垂訓で語られた8つの福)が何であるか、八福の内容に、その内容と感じることが何であるかを、はるかに深く感じることができるでしょう。


このように、神様の福音を説明する牧師がどこにいますか?皆、社会主義的に説明するではないですか。クリスチャンを弱い柔和な奴隷にしてしまうのです。この大きな、大型教会が!神様の民を武士にしないではないですか。王と王妃たちにしないのです。


皆さん、私達が考えている王と王妃は戦わないが、聖書に出てくる王と王妃は戦います。戦争に出て戦うのです。ダビデ王は何をしましたか?戦いました。サウル王が何をしたのか?戦いました。王たちが武士なのです。聖書では!そうですか、そうではないですか?「そうです。」