千葉サンクチュアリ教会(三代王権・こころのサンクチュアリ教会)

文亨進御家庭を地上の真の父母・三代王権、勝利した再臨主二代王とするイエス・キリストを信じる教会です。個人が勝利したイエス・キリストを体にまといて実体のキリストの体、キリストの花嫁となり、各家庭が幸せな家庭教会になることを目指す教会です。三代王権・こころのサンクチュアリ教会の千葉教会です。一緒に天のお父様を賛美しましょう。

イエス様は十字架につくためではなく、神様の王国を作るために来られました。


聖書にはっきりと
コリント2:8 この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
と書いてあります。
主は私たちの罪を購うために十字架に行かれました。しかし主イエスは十字架につくために来られたと言うのは知恵がないことなのです。イエス様の十字架の救いは限定的、部分的です。本当の完全なる罪の贖罪はイエス様と共に神の王国をともに築いていくことにより、その本当の贖罪がなされるのです。


---6月12日の説教より-----------


私たちが知っている通りに、イエスが死にに来られたのではなく、神様の王国を作ろうと来られました。
コリント前書2章8節で、もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろうと述べています。
原理講論でもこの聖書の句節を言及しているのですが、この聖書の一節は本当に重要な一節です。
そのようなコリント前書2章に行ってみましょうか?
コリント前書2章8節周辺の聖句を読んでみたいです。
(コリント前書2章6節から読んでおられます。16節まで読まれました。)


6 しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
7 むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
8 この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
9 しかし、聖書に書いてあるとおり、/「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」/のである。
10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
15 しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
16 「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。


コリント前書2章では、もし神様の心を本当によく理解したなら、イエス様を死なせなかったはずだと言うのです。
その言葉は、イエス様が十字架にかかる代わりに、他の方法があったということでしょう。
(キリスト教ではイエス様が十字架にかかって、死ぬために来られたと教えます。 しかし、2代王様はイエスが神様の王国を教えるために来られたという事実を、聖書を通じておっしゃっています。)


ルカ福音書4章43節でイエス様は、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われました。
神様はもちろん、十字架を利用して、人々を救い、イエス様の犠牲を無駄にされなかったのです。
しかし、それは神様が完全に望まれたことではなかったということを、聖書を通じて知ることができるというのです。