千葉サンクチュアリ教会(三代王権・こころのサンクチュアリ教会)

文亨進御家庭を地上の真の父母・三代王権、勝利した再臨主二代王とするイエス・キリストを信じる教会です。個人が勝利したイエス・キリストを体にまといて実体のキリストの体、キリストの花嫁となり、各家庭が幸せな家庭教会になることを目指す教会です。三代王権・こころのサンクチュアリ教会の千葉教会です。一緒に天のお父様を賛美しましょう。

震災5日目 2016/04/19



寺中聖殿に帰ってきた。
聖殿が喜んでいる。
しばらく淋しい思いをさせてしまった。
やっと電気がつき、ガスが戻った。
あとは水道の復旧を待つばかりだ。



道路が徐々につながり始めたので、
避難しているメンバーは
気がかりな自宅を見に行った。
2軒が建物は残っているが、
とても住める状態ではないことが解った。
最初の震度7.0ですぐ避難していた。
あの後の本震の被害が最も大きかった。
あのまま家の中にいたら命が危なかった。


きょうから青年たちは
近くの学校(避難所)にボランティアに行った。
炊き出しである。
職場の方で長期の休暇が出た青年は、
どこにボランティアに行こうかと思案中だ。
せっかくやるのだから求められているところがいい。
情報を整理中。
ともかく、ここの青年たちの動きがいい。
活発である。
生き生きとして逞しい。
坂口家庭教会に避難している18名のうち、
8名が青年だ。
青年たちの若い氣が、明るさを与えてくれる。



朝5時の訓読会。
それぞれ職場へ。
震災後の後片付け、食口の家庭の訪問、
買い出し、水の調達、せっせと働いている。
食事担当の三厨さんは、
3食、18名分をしっかりこなしている。
あちらこちらから食材が集まってくる。
昨日は阿蘇の高森から、まぜご飯に、
タケノコ・ワラビの煮物まできて、ご馳走が並ぶ。
近所の木倉(地区)に
物資が不足しているとの報を受け、
早速サンクチュアリ教会・文亨進様の名で、
献品してきた。



そして夜8時から報告会。
またこの報告会で新たな力を得る。
先日、修練会を受けていると報告したが、
まさに家庭毎にふさわしいセミナーを
神様から受けている。
証を2つ、紹介する。



まず最初の、「キンタマ作戦」の
藤本真由美さんのその後である。
訓読会を夫婦でそろって始めたのは、
先日報告した通り。



訓読ばかりじゃなくて、
やはりお父様に敬拝することを
夫にもして貰いたいと思って、
「こういう風にやるんよ」
「右足をひいて」
指導すると、素直に夫が従って、
見よう見まねで敬礼してくれた。
嬉しかった。



その直後に震度7.0。
2人は思わず抱き合った。しっかり。
“大丈夫か?”
“あなたは?”
夫は妻の無事を確認すると、
外に飛び出して、車を走らす。
親戚の叔父さんが気になる。
数ヶ月前、脳梗塞で倒れ、
叔母さんが介護している。
なかなか電話がつながらない。
やっとつながると、
“真っ暗、何も見えん、どうすればいいのか…”
“ヨシ、行くぞ!” と走り出した。



夫を送りだして、1人待つ身。
次のが来た。
揺れがおさまると、すぐ夫が顔を見せた。
“大丈夫か?”
不思議なことに、
家の中は皿が数枚割れたぐらいで、
あとは何もない。
2階の娘の部屋だけは、あれこれ倒れているようだ。
娘は北九州の大学に行っているので、留守。
この地震の中、夫がキビキビと
他人の世話をしている姿に
頼もしさを感じている。



藤本さん自身もコメリ(ホームセンター)のパートで、
朝早くからせっせと精を出して、
地震2日目から、店頭に立ち、
物資の不足しているお年寄りたちのために働いている。
他のパートの婦人たちは
家のことで精一杯で誰も来ていない。
パートで立ち働くのは藤本さん1人である。
店長から、お客さんから、
とてもありがたがられている。


本人から、証文が送られてきました。



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「ために生きる主人」



祝福に向けて訓読を始めた私達夫婦。
礼節と儀式のみ言に、
ご父母様のお写真に侍るとあり、
そうだよね、ここからだよねと思い、
主人の手を引いいて祭壇のまえに。
手は頭に、まず右足を引いて、
キョンべー、パローと一緒にに敬拝。
嘘でしょ、いや 今ちゃんと敬拝したよね、
驚く自分がいました。
祭壇をぶっ壊しまでしたあの主人が、
なななんと敬拝するとは、
これぞ正しく天変地異の出来事でした。



驚きの余韻がさめる間もなく、
今度はあのこの地が大揺れした大地震、
揺れがなかなか止まず、
いつの間にか二人抱き合っていたではあ〜りませんか、
またまた驚きでした。



揺れがおさまり、
すぐさま実家の母と義母に連絡して無事を確認。
主人はと言うと何故か義母の実家に連絡し安否確認、
すると電気は消え家の中も凄い状態との事、
気になる主人は危険を顧みず、
「俺 今から見に行って来るけん」と、
私に大丈夫だろと言葉を残し
飲み水片手に出かけて行きました。



大丈夫だろと言われ
「うん 大丈夫だけん」とは言ったものの
何度も繰り返し揺れる揺れる、
すると夜中12時を過ぎたその時、
来た〜大揺れが。
思わず、父ちゃん早よ帰って来てよ〜と叫んでいました。
すると慌てて、
「遅なってゴメン」と言って駆け込んで来た主人、
絶対善霊の皆さんを感じぜずにはいられませんでした。



すると夜明けと同時に馳け廻る主人。
先ず夜中に行った叔母の家に、
おにぎりを持ってもう一度。
そしてたまたま通った知り合いの家を見てビックリ、
玄関のドアは傾き、屋根が落ちた様子を見て、
家にあったブルーシートを持って手伝いに。
我が家に帰り、1枚だけ割れた瓦を修理してひと段落。
すると近所の家のご主人が屋根に登られ
瓦の修理をされてるのに気づき、
家にあった養生テープを持って行ってあげると、
1日中み言を知らない主人が、ために生きるの実践。



凄い神様は、これも役事、驚きの連続です。
でもあの大揺れにも関わらず、
ほんの小さな小さな被害、
本当に神様、お父様、
絶対善霊の皆さんに守られた我が家でした。



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次は21歳の1世の証。
本人のメールです。



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震災にも内的、外的に変わる事が分かりました!
まず外的に変わる事は
建物が壊れる、物が壊れる、
食料が不足する、
当たり前だった事が不便になる。



内的に変わる事は、
神様が分からなかったうちに
分かりやすく教えられた事です。
祭壇のお写真もどこの家庭も落ちてなく、
家も崩壊せず、みんな無事で、
それが1番見せられました!
本当に守られてるんだなと!



そして吉岡家は、普段では
あり得ない者同士が一緒に寝てること。
お父さん=じいちゃん、
お母さん=みわ と言うように。
なんか堕落性がお互い脱げそうです。
一緒にいると本当に嫌な所しか見えないんです。
でも何故かそーなっちゃってるのが不思議です。
そして今日驚いたのが栞(お姉ちゃんです)が
教会の人をアパートに自ら呼んだ事です。
教会に反発してた栞が呼ぶなんて
考えられなかったです!
他にも沢山あるけど、
ただの地震じゃなくて
これも神様の愛だと言うことが
なんか実感できます。



美和より



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日を追うごとに、被害の実態が明らかになってきました。
これからが、闘いの正念場です。


義援金を送ってあげたいとの 御声を聞くようになりました。
皆様のお心遣いに感謝します。


下記の口座に御送りくだされば幸いです。


郵貯
記号 17750
番号 2876831


井上キイ子


ご支援ありがとうございます❗️


安永家庭教会 井上秀幸


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熊本は19日より宅急便がつかえるようになりましたが震源地である安永教会が所在する益城郡は宅急便がまだ入れないので救援物資がままなりません。
もちろん一般の車も危険なので入れません。


一家庭だけ水道が復旧しましたが水は貴重です。ではどうやって救援物資を運ぶのか?それはこころのサンクチュアリまでご連絡下さい。


日本がんばれ!熊本がんばれ!安永教会がんばれ!www.sanctuaryjp.org この件やその他のお問合せ→お問合せホーム fanclubcomm@gmail.com tel 050-7124-8027

イエス・キリストたる再臨主に帰れ

エリコ城は陥落した!


2016/04/18 21:53 安永家庭教会 月曜コラムリスト宮本
「お父様を削除するという巨大な犯罪を犯した」―


2015年1月の「沈黙を破って」の説教以来、
2代王亨進様が繰り返し叫ばれた言葉である。



今年4月10日、
210代先祖解怨祝福式典においても、
お父様を捨てた
「韓氏オモニの恥ずべき異端」を指摘され、
それに「従う人々―家庭詐欺連合の食口たち―を目覚めさせ、
王の王である真のお父様、選ばれし血統、
王権の権威の下に戻ることができるよう」祈祷された。



■すべての結論は、ここに帰着する。
このたび原城殉教キリシタン3万7千人が
特別に解怨祝福を受けたことも。
また、その直後、
熊本県で巨大地震が発生したこともそうだ。


15日、ティモシー・エルダー世界宣教本部長は、
「資格なくして恩恵を受けた3万7千人」と題する見解で、
「主を捨てた者たちに
裁きを下す使命を与えるために、
お父様が彼ら(3万7千人原城殉教者)を
特別に選んで下さった」、と言われた。
私はこれを聞いて、「あゝ、そうか!」と頷いた。


日本のキリシタン時代(16世紀後半~17世紀初め)、
時の権力者によるキリスト教迫害によって
多くの殉教者を輩出したが、
彼らは宣教師をはじめキリシタン領主、
信心会リーダーなど
「主を裏切ったことのない」模範的信仰者であった。
ところが、原城殉教者3万7千人は
信仰に優れた者でないばかりか、
「主を裏切った」転びキリシタンたちであった。
2代王亨進様を通じて、お父様が、
これら「主を裏切った」経歴を持つ殉教者3万7千人を
「特別に選んで、解怨祝福」された理由も、
実はそこにあったのだ。


彼らは1637―38年、聖霊に導かれ、
再びキリストを掴んで生命を神に捧げた。
「主を裏切った」者たちが、
もう一度「主をつかみ」、
真冬の原野でコンチリサン(真の痛悔の祈り)を捧げ、
主を讃えながら逝った人々であった。


それだからこそ今、
地上に再臨して言うべきことがある。
「主を裏切った」人々―
いまだに再臨主お父様に戻らない
家庭詐欺連合の人々に対して。
そして、かつてキリスト教を禁じ、
400年経た今なおキリストお父様を受け入れないこの国と、
国民に対して、言うべきことがある。
「われらは、女も子ども、老人も、
みんな家を捨て、故郷を捨てて、
真冬の原城に集い、
キリストに帰って行ったのですよ。
あなたがたは、
いつまで主を排斥するのですか?」と―。
彼らは、あの世で堪えてきた。
そして、400年サタン分立蕩減期間を経て、
キリスト再臨時代を迎え、
地上の聖徒たちとともに打って出る時を待ってきた。



■2016年4月8日、2代王亨進様が
「原城殉教者3万7千人の
解怨祝福を決定された」のは、
たしかにイエス様と再臨主が決定されたことであった。
そして、「霊界で3万7千人の軍団を編成して、
摂理のために戦うように」、と指示された。


一方、地上では、熊本・安永教会が数年来、
彼らキリシタン先祖たちの協助を受け、
主の御言をもとに地上で氏族メシヤ活動―
天一国をつくる活動を展開してきた。


そして、この春、安永教会はブログ上で
「家庭詐欺連合への攻撃開始・ミサイル発射」(3月31日付)、
「キンタマ作戦」(4月14日付)を発信した。
さらに4月9日、坂口祐子さんは、
お父様が
「颯爽と馬に乗って、長い槍を持たれ」
来臨された姿を目撃し、
「打って出よ!」と
「鬨(とき)の声を発せられる」のを聞いた。
それは文字通り、
「天の軍隊3万7千人」に対する
出陣命令であったと思われる。
結果、14日午後9時26分、
マグニチュード6・5の、
続いて16日午前1時25分に
マグニチュード7・3の大地震が
熊本県益城町直下で発生した!



■その意味するところは、
エルダー氏が仰るように
「主を裏切った者たちに裁きを下す」ことであった、と思われる。
その象徴的出来事を、私は熊本城に見た。
すなわち400年前、
肥後国(熊本県)領主・加藤清正(1562―1611)が築城した
熊本城の壊滅的とも言える甚大被害である。



肥後国南部と天草は
キリシタン大名アゴスチイノ小西行長(?―1600)が領し、
住民のほとんどをキリシタンにした。
一方、同国北部を領していた加藤清正は
熱心な仏教徒であり、
キリシタンを迫害した人物として知られる。
彼は1600年(関ヶ原戦)、
アゴスチイノ小西行長(?―1600)が
徳川家康によって殺されるや、
同国のキリシタン一掃作戦に着手した。
1637年秋、隣国島原領のキリシタンとともに
原城に結集した肥後・天草のキリシタンたちは、
その苦い思い出をもっていた。


加藤清正の居城・熊本城は、
その規模の大きさとともに、石垣の堅牢さ、美しさをこの方400年、誇ってきた。
巨大な石垣で築かれたエリコ城・熊本城の破壊など、人間の力で誰ができるだろうか。
それは「主を迫害した」者への、
神の裁き(の象徴)であったに違いない。
彼ら3万7千人の殉教者軍団は今、
神とともに強力な軍事力をもって進軍を開始したのだ。



■神の審判は、
「主を捨てた」者たちに向けられる。
その中で、「主をつかむ」者たちを、
神は守護される。
安永教会が追って、
その奇蹟的証しを発信してくれるであろう。




―島原訓読家庭教会・宮本記―


目覚めよ!キリストを裏切った者たちよ主をつかめ!www.sanctuaryjp.org この件やその他のお問合せ→お問合せホーム fanclubcomm@gmail.com tel 050-7124-8027

亨進様、「審判は愛である」のマルスムありがとうございます。 審判の地としてこの益城を選んでくださったことに心から感謝しております。 何故突然37000の島原原城殉教クリスチャンを解怨して下さったかわかりました。日本よキリストに帰れ!主に死を賛美するその精神をもって亨進様と一緒に天一国をつくってまいります。

亨進様、「審判は愛である」のマルスムありがとうございます。
審判の地としてこの熊本益城を選んでくださったことに心から感謝しております。
何故突然37000の島原原城殉教クリスチャンを解怨して下さったかわかりました。日本よキリストに帰れ!主に死を賛美するその精神をもって亨進様と一緒に天一国をつくってまいります。


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当サンクチュアリ千葉教会と深い関係のある熊本安永教会は、熊本地震の震源地益城町にあります。

祈りを頂けますようお願いします。

イエス・キリストとともにこの地はあります。

王国の種を巻く人 The Kingdom Sower - Matt 13 Sunday Service - April 17, 2016 文亨進天一国二代王

今日はマタイ13章から始めましょう。聖書をお持ちの方はご覧下さい。
ところで2週間前には同じ章で「麦と毒麦」について見ました。今日見るのはマタイ13章の中でも最も有名な箇所です。


マタイ13章
13:1その日、イエスは家を出て、海辺にすわっておられた。 13:2ところが、大勢の群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわられ、群衆はみな岸に立っていた。 13:3イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。 13:4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。 13:5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、 13:6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 13:8ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 13:9耳のある者は聞くがよい」。
13:10それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。 13:11そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 13:12おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになる。 13:13だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。


この最後の12節を見て下さい。この部分は非常に不思議な聖句です。11節から見てみましょう。


13:11そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 13:12おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。


謎めいた聖句だとは思いませんか。その意味が分からなくとも何となく実感することはできます。この部分についてはキリスト教世界では多くの注釈、解説がありますが、一度、自由社会、天一国憲法の観点から見て下さい。天一国憲法の中で神の王国の謎について詳細に描かれています。
天一国憲法の観点から見る時「おおよそ、持っている人は与えられて」の「持っている」とは何を持っているのでしょうか。それは天一国憲法の知識だといえます。
そして持っている人は「いよいよ豊かになる」とあります。神の国について知り、その祝福を受けそこで暮らす人々は、自分達がこの世で最も自由な国を造り出そうとしていることを自覚しています。人々、同僚たちと協力して作る、より自由な結社、より自由な交易が確保される大きな自由と機会のある社会。これは現実に人々が生きて生活する世界です。
地上天国は現実に人々が生活する場所だというのです。決して天使の舞うディズニーランドのような夢の世界ではありません。
麦と毒麦のたとえで2週間前に見たように、王国には毒麦も存在するのです。イエス様が語っているような問題を含む雑草もそこに生えるということです。そこに天使が登場して麦と毒麦を分けて毒麦の方を火に投げ入れましたね。
そこでエンジェル(天使)の語源であるアンゲロス(άγγελος)という言葉について学びましたね。そこで神聖な天界の天使の意味とは別に、体を持つ天使を意味していると言いました。
聖書の記述に、天国に行くと「天使のようになる」とあります。天使は力を持つとともに天国では仕える者です。「平和警察」「平和軍」を想起して下さい。それはすべての市民・国民が為に生きる精神の発露として隣人を守る役割を「平和軍」「平和警察」を通して果たすということです。そこには連邦警察も連邦軍も存在しないのです。
歴史的にも中央権力として存在する「武力」こそ最も危険な存在であるということを我々はよく知っています。独裁者がそれを掌握することはいともたやすいというのです。この天使長的サタン的パターンが人類堕落歴史の中で何度も何度も繰り返されるのをいやというほど見てきたのです。
アダムに与えられたものは王国であり、アダムはそこで王になるべきでした。そして全地を統治するはずだったのです。アダムとエバが主権者です。しかし王国は堕落し、取り上げられ、その結果ルーシェルが王国を盗み取りました。この世の王子、この世の王になったのです。
サタンはイエス様を何と言って誘惑しましたか。お金や権力で誘惑したのではありません。この世の王国をもって誘惑したのです。自分にひれ伏すならこの世の王国を与えようと言って誘惑しました。試練から戻ってイエス様は繰り返し、繰り返し神の国の福音を宣べ伝えました。
12節の「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになる」の意味はなんでしょう。王国とその憲法を持っている人は自由の意味を知り、自由な取引と自由なコミュニティづくり、そのネットワーク形成を通してすべてにおいて良好な結果を得ることができます。実体の天国がまだ現実になっていないとしても霊的には天国圏に入っているのです。
誠実な仕事相手を求め、双方が得をするような解決策を求めることで豊かになることが可能です。
一方、「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになる」の意味は何か。神の国の神秘を悟らない人、その憲法の知識に欠ける人、神の国がどのように建てられるのか分からない人々は、社会主義や共産主義といった一方に偏った考え、「妬み」を促進する思想に捉われる。この者はあなたよりも多く持っている、恵まれている、それは悪であり、自分達に権力を与えてくれるなら奴らから奪い取り上げてあなたに分け与えよう、などとささやきます。その言葉に乗ってしまうと政府の奴隷になるのです。
その結果持っているものまで取り上げられてしまいます。それは自由を売った代償です。社会主義、共産主義などを採用すれば、皆さん自身の胸の内で「嗚呼、自分は犠牲者だ」「権力を使って他の人の財を奪い取らせよう」などと考えるようになるでしょう。まるで悪魔です。ですから世界の社会主義、共産主義国を見て下さい。結局、国民は持っているものまで取り上げられてしまいます。その約束は偽りです。すべての国民は平等であるべきだ、世界のプロレタリアートよ立ち上がって大企業、資本家を排除せよ、資本と権力の集中がなされればそのあと自然に分散されるというマルクスの甘い言葉はけっして実現などしません。その中央権力による支配は強まることはあっても緩むことなどないのです。
天一国の体制と社会主義、共産主義、寡頭政治などの中央支配との違いが際立ちます。天一国を所有するものはますます豊かになる、これです。一方、天一国を持たざる者、社会主義、共産主義、寡頭政治などの中央支配体制では最後には持っているものまで取り上げられてしまうのです。まさに共産主義国の実態だというのです。
私はお父様の命で共産国家を何度か訪れたことがあります。この目で見ました。隣町に行くのでさえ地元の役人に届けを出さなければならないのです。別の通りに車を自由に進めることすらできません。独裁国家でのなれの果てです。
このような観点で聖句を見る時、その意味を明確に知ることができます。


マタイ13章
13:18そこで、種まきの譬を聞きなさい。 13:19だれでも御国の言を聞いて悟らないならば、悪い者がきて、その人の心にまかれたものを奪いとって行く。道ばたにまかれたものというのは、そういう人のことである。 13:20石地にまかれたものというのは、御言を聞くと、すぐに喜んで受ける人のことである。 13:21その中に根がないので、しばらく続くだけであって、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 13:22また、いばらの中にまかれたものとは、御言を聞くが、世の心づかいと富の惑わしとが御言をふさぐので、実を結ばなくなる人のことである。 13:23また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」。


これも謎めいたみ言です。通常は信仰観から解釈します。もちろんそういう見方もできます。しかしこれも王国の観点からみて下さい。イエス様は天国理想を知る方でした。エデンの園、神の王国をもう一度地上に取り戻そうと、弟子たちに毎日祈りなさいと命じられました。


天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖〔せい〕とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
・・・


明らかにイエス様は天国とはどういうものであるかご存知でした。しかし当時の人々はローマ帝政の下で暮らしていました。生まれてこの方ローマによる支配のもとで生きてきたのでイエス様のいう王国を理解することができなかったのです。あたかも共産国家で生まれ育った人々に天一国憲法の意味、自由社会を講義するようなものです。一体どうしてそれが可能であるのか分からないのです。 

お父様の霊とともに歩みたい 



●サンクチュアリ安永家庭教会聖殿 月曜コラムリスト 宮本 2016/04/04 




荒野での修行生活を通して
神の霊(みたま)を受け、
「この方こそ神の子である、とあかしした」
(ヨハネ伝1/34)
洗礼ヨハネは、その後、
「来るべき方(メシヤ)はあなたなのですか、
それとも他に誰かを待つべきでしょうか?」
(マタイ伝11/3)
とイエスを疑った。
その理由について原理講論は、
「彼から霊的な摂理が切れて、
人間洗礼ヨハネに戻った」から、
と説明している(同書201頁)。



祈り、御言を訓読して
心が神とともにあるとき、
人は天的な視点から
食口とその事象を見ることができるが、
神霊が離れ、
「(堕落)人間」に戻る」と、
信仰的見方・判断が出来なくなってしまう。
我ら御旨の道を歩む者たちに、
よくあることだ。



三代王権こころのサンクチュアリ教会ブログに揚げられている
安永教会寺中聖殿日曜礼拝動画は、
地方の田舎で信仰生活している
小さな家庭教会にとっては有り難い。



3月27日の礼拝で井上教会長は、
1年前のサンクチュアリ教会・亨進様との
出会いのいきさつを
「神が呼ばれたこと」として、
霊的感動をもって述べた。



「我らは何気なくここに集まったようだけど、
神の意図は二代王を立てて
神の国をつくること―
そのために我らを呼ばれたのです。
亨進様を立てた(その)同じ神様が
我らを立てて来たんですよ。
ファンクラブ(三代王権ブログ)さんもそう。
我らもそうなんですね。
我々はキリストに結ばれた市民(国民)なんです。
天一国の国民として、
まず先に呼ばれたということです。
お父様が呼ばれたのは、
我らが完全であったからではない。
将来、この人は何とかなりそうだ、と見込み、
先に信じて下さったからなのです。」と―。



これを見ながら、
洗礼ヨハネの教訓が頭の中を過(よ)ぎった。
聖書を知らない、
神の御旨もわからなかった罪人なる我らは、
本来、このような場に立つべき者たちではなかった。
しかし、先に選ばれた選民イスラエルが
キリスト「お父様」に背いたため、
仕方なく「神の国は彼らから取り上げられ、
…異邦人に与えられた」のであった
(マタイ伝21/43)。



わたしが、自分の力によって
サンクチュアリ教会に来たのではない。
神とお父様がわたしを「信じて」呼ばれた、
ということだ。
我らサンクチュアリアンは、
亨進様の説教・御言を聴き、
霊的感動を受けたとき、
一度は誰もがそのことを
心に留めたであろう。
ところが、
信仰の根が定着していない
「つみびと」、「異邦人」出身の我らは、
その霊的感動を
時間とともに忘れることがある。
人間的な視点で兄弟や出来事を
判断するようになる。
あたかも洗礼ヨハネが
霊的なものを失ってキリストを疑い、
兄弟姉妹を疑ったように、である。



安永教会が
「神の国をつくる隅のかしら石」であり得るのは、
神の御言と神霊がいつも、
ともに在る!からだ。
人は不完全であるため、
時に誤ることもあるだろう。
しかし、神の霊がともにあるなら、
その過ちに気付かせてくれる。
「悔い改め」て、修正することができる。
お父様の霊・神霊とともにある、
そのようなサンクチュアリアン・家庭教会を目指したい。




―島原訓読家庭教会・宮本記―