常に聖書に問う姿勢。
リマ、聖書は聖霊の御業です。
聖書を通して神様に主に問う週刊が必要です。
特に霊的な戦いをするとき。
私たちは、善霊と悪霊の戦いのまっただ中にいます。
世界の左派が同じような発想をするのは世界は知らず知らず悪なる霊のコントロールを受けています。
聖書を通して霊的な戦いをする必要があります。
信仰は霊的な戦いです。
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6月21日の説教から
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今日のリマは箴言14章です。
1 知恵はその家を建て、愚かさは自分の手でそれをこわす。
2 まっすぐに歩む者は主を恐れる、曲って歩む者は主を侮る。
3 愚かな者の言葉は自分の背にむちを当てる、知恵ある者のくちびるはその身を守る。
ヘブライ語でリマは両刃の短剣で、神様が霊的戦いでくださる武器です。
また、リマは神様がどんなルールも持たないで、ランダムにくださる神様のみ言葉です。
短剣は、敵が遠くにいる時は、短剣を使いません。
敵が近くに来た時、敵の急所を突くのに使うのが、まさにリマです。
その言葉は、我々の暮らしにサタンが近くに来て活動しようとする時、その時、特にリマが必要なのです。
そんな霊的戦いの状況で、我々は短剣であるリマを取り出さなければならないというのです。
聖書を開いて、み言葉を開き、神様のみ言葉を求めなければならないという意味です。
真のお父様の聖霊が私たちに、どんなみ言葉でこの霊的戦いに勝てるかを、導いてくださるのです。
私たちが霊的な役事や霊的な経験や霊感を感じた時、とても重要な実践の一つは、その霊感や経験を神様のみ言葉(リマ)で確認することです。
例えば、ある男性が'君はあの人と浮気しろ、私がそれを許す'というインスピレーションを受けたとしましょう。
これは神様の言葉や声ではありません。
それは実は、サタンの声です。
神様は絶対に、ご自分のみ言葉とお教えと、反対になるのみ言葉をくださらないのです。
だから、そんな霊的経験が神様の役事なのか、サタンの役事なのか分からなくなる時は、み言葉でそれを見分けることが非常に重要です。
もしよく理解できないリマが出たら、その周辺の言葉を読んだり見たりして、そのみ言葉の背景も読んでみて、なぜ神様がそのみ言葉を下さったのか、祈りで接しなければなりません。
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